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コメント一覧 (2)
孫からしても悪意のある祖母達で、どっちが自分の祖母なのかすら興味も持たない状態でした。うちは5階、祖母達は4階に住んでおり、小学生くらいまでは、時々下に行ったりもしていましたが、高校生だった頃には、もう何ヶ月見てないだろう?商店街で会って話しかけても、白内障だったようで『だれ?』って聞かれたほど。ある日暴君の父が母に頭を下げたらしく、ほかの男兄弟には手伝わせず、女の私にだけ母は手伝ってと言いました。
家に入って『マジでマックロクロスケっているんだな』と赤黒い無数のがさーと隠れる始末。ゴム手袋の腕をガムテープで母と巻き合い、靴のまま家に入りました。ビニールを二重にして、とにかく潰して潰して叩き殺して、両手で救って捨てるを繰り返し、高価なソファの縫い目縫い目すらびっしりでした。最初こそ吐き気とかもありましたが、だんだん笑える気持ちになり、いつか小説家とかになって、エッセイを書くときのいいネタだなぁ(なれなかったけどね)と楽しくなるほどでした。祖母達はレンタルのベットに二人とも横たわり、布団にも這いずっていて、布団をはがすと、カサカサで細くなった指の間にすらそれらはいて、指にはご自慢の指輪が浮くほどなのに、それでも指輪はしたままなんだな、指輪と指の間にもいて、、意地悪で私の事なんて愛してもくれなかったけど、そんな生き方をしてるとこうなるのかと、、、17にして生き方を見つめ直しました。
隣人(チャト子)
が
しました
何日もかけて、部屋を綺麗にして、汚かったものは全部捨て、高校生時代の朝は、祖母達に朝食を持って行くこと、汚物入れを捨てて、消毒液につける、アッタカイタオルで顔を拭くように促して、スプーンを持たせて、一口食べるのを見守ったら登校するのが毎日となりました。生き方を見直し、当時青くアウシュビッツの『夜と霧』を愛読していたので、祖母に愛を持って接し、祖母が『共に見る夕日を綺麗だね』って言い合う間柄にする!を目標に介護をしていました。母はそんな私を信じられないように見ていましたが、他人である母にやらせる事の方が申し訳ないので、どう思われようと介護ができて、気持ち的にはスッキリしました。意地悪だった祖母達が、なんとなく心を開いていく雰囲気は優越感すらありました。全てはいつかエッセイにする為と思えば、何度も繰り返される話すら、詳しく聞きたいし、どんな心境だったのか、出てくる人の名前の相関関係すら書き出したほどでした。今あれをやれと言われたら、我が子第一なので出来ないですね。祖母は夕日は綺麗だとは思わなかったようですが、恋人の話を繰り返ししていました。父は愛人の子と聞いていたので、その人が祖父なのか!とワクワクしながら聞き入っていましたが、ある日滅多に来ない父が後ろに立っていたんです。祖母が娘にしてる恋物語の様子を、顔面蒼白になって立っていたんです。笑えました、この話、祖父の方では無いのかと、、、D Vで、威張る姿ばっかりの父が、顔面蒼白、茫然自失、、そして、なんだか泣きそう。なんだかすごく優越感で笑いが心の中で止まりませんでした。
隣人(チャト子)
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