虐待をしていた義両親との付き合い方【99】 2022年12月06日 良かったら【1】からご覧ください今回も閲覧注意でお願いします続きますいつもコメントありがとうございます😊コメント欄であぶなく先の話のネタバレなどを描きそうになるので、返信を休止中ですがとても嬉しく大切に読ませていただいてます✨片付けに関しては業者に頼むという考えはなかったですね〜!頼めば良かったと思いました‼︎😳続きはこちらです【100】 当ブログにきてくださり読んでいただきありがとうございます🙇♀️気軽にコメント、拍手、読者登録などしていただけるとめちゃくちゃ喜びます😍 「虐待をしていた義両親との付き合い方」カテゴリの最新記事 タグ :#虐待#義両親#義父#義母#舅#敷地内同居#ごみ屋敷#介護#認知症#毒親 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (2) 1. マヨネーズ 2022年12月13日 00:28 私は、祖母と祖母の姉の『これ』やりました。なんかこの話は、懐かしくなってしまいコメントはじめてします。 孫からしても悪意のある祖母達で、どっちが自分の祖母なのかすら興味も持たない状態でした。うちは5階、祖母達は4階に住んでおり、小学生くらいまでは、時々下に行ったりもしていましたが、高校生だった頃には、もう何ヶ月見てないだろう?商店街で会って話しかけても、白内障だったようで『だれ?』って聞かれたほど。ある日暴君の父が母に頭を下げたらしく、ほかの男兄弟には手伝わせず、女の私にだけ母は手伝ってと言いました。 家に入って『マジでマックロクロスケっているんだな』と赤黒い無数のがさーと隠れる始末。ゴム手袋の腕をガムテープで母と巻き合い、靴のまま家に入りました。ビニールを二重にして、とにかく潰して潰して叩き殺して、両手で救って捨てるを繰り返し、高価なソファの縫い目縫い目すらびっしりでした。最初こそ吐き気とかもありましたが、だんだん笑える気持ちになり、いつか小説家とかになって、エッセイを書くときのいいネタだなぁ(なれなかったけどね)と楽しくなるほどでした。祖母達はレンタルのベットに二人とも横たわり、布団にも這いずっていて、布団をはがすと、カサカサで細くなった指の間にすらそれらはいて、指にはご自慢の指輪が浮くほどなのに、それでも指輪はしたままなんだな、指輪と指の間にもいて、、意地悪で私の事なんて愛してもくれなかったけど、そんな生き方をしてるとこうなるのかと、、、17にして生き方を見つめ直しました。 0 隣人(チャト子) がしました 2. マヨネーズ 2022年12月13日 00:47 すみません、コメントします。 何日もかけて、部屋を綺麗にして、汚かったものは全部捨て、高校生時代の朝は、祖母達に朝食を持って行くこと、汚物入れを捨てて、消毒液につける、アッタカイタオルで顔を拭くように促して、スプーンを持たせて、一口食べるのを見守ったら登校するのが毎日となりました。生き方を見直し、当時青くアウシュビッツの『夜と霧』を愛読していたので、祖母に愛を持って接し、祖母が『共に見る夕日を綺麗だね』って言い合う間柄にする!を目標に介護をしていました。母はそんな私を信じられないように見ていましたが、他人である母にやらせる事の方が申し訳ないので、どう思われようと介護ができて、気持ち的にはスッキリしました。意地悪だった祖母達が、なんとなく心を開いていく雰囲気は優越感すらありました。全てはいつかエッセイにする為と思えば、何度も繰り返される話すら、詳しく聞きたいし、どんな心境だったのか、出てくる人の名前の相関関係すら書き出したほどでした。今あれをやれと言われたら、我が子第一なので出来ないですね。祖母は夕日は綺麗だとは思わなかったようですが、恋人の話を繰り返ししていました。父は愛人の子と聞いていたので、その人が祖父なのか!とワクワクしながら聞き入っていましたが、ある日滅多に来ない父が後ろに立っていたんです。祖母が娘にしてる恋物語の様子を、顔面蒼白になって立っていたんです。笑えました、この話、祖父の方では無いのかと、、、D Vで、威張る姿ばっかりの父が、顔面蒼白、茫然自失、、そして、なんだか泣きそう。なんだかすごく優越感で笑いが心の中で止まりませんでした。 0 隣人(チャト子) がしました コメントフォーム 名前 コメント 記事の評価 リセット リセット 顔 星 情報を記憶 コメントを投稿する
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孫からしても悪意のある祖母達で、どっちが自分の祖母なのかすら興味も持たない状態でした。うちは5階、祖母達は4階に住んでおり、小学生くらいまでは、時々下に行ったりもしていましたが、高校生だった頃には、もう何ヶ月見てないだろう?商店街で会って話しかけても、白内障だったようで『だれ?』って聞かれたほど。ある日暴君の父が母に頭を下げたらしく、ほかの男兄弟には手伝わせず、女の私にだけ母は手伝ってと言いました。
家に入って『マジでマックロクロスケっているんだな』と赤黒い無数のがさーと隠れる始末。ゴム手袋の腕をガムテープで母と巻き合い、靴のまま家に入りました。ビニールを二重にして、とにかく潰して潰して叩き殺して、両手で救って捨てるを繰り返し、高価なソファの縫い目縫い目すらびっしりでした。最初こそ吐き気とかもありましたが、だんだん笑える気持ちになり、いつか小説家とかになって、エッセイを書くときのいいネタだなぁ(なれなかったけどね)と楽しくなるほどでした。祖母達はレンタルのベットに二人とも横たわり、布団にも這いずっていて、布団をはがすと、カサカサで細くなった指の間にすらそれらはいて、指にはご自慢の指輪が浮くほどなのに、それでも指輪はしたままなんだな、指輪と指の間にもいて、、意地悪で私の事なんて愛してもくれなかったけど、そんな生き方をしてるとこうなるのかと、、、17にして生き方を見つめ直しました。
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何日もかけて、部屋を綺麗にして、汚かったものは全部捨て、高校生時代の朝は、祖母達に朝食を持って行くこと、汚物入れを捨てて、消毒液につける、アッタカイタオルで顔を拭くように促して、スプーンを持たせて、一口食べるのを見守ったら登校するのが毎日となりました。生き方を見直し、当時青くアウシュビッツの『夜と霧』を愛読していたので、祖母に愛を持って接し、祖母が『共に見る夕日を綺麗だね』って言い合う間柄にする!を目標に介護をしていました。母はそんな私を信じられないように見ていましたが、他人である母にやらせる事の方が申し訳ないので、どう思われようと介護ができて、気持ち的にはスッキリしました。意地悪だった祖母達が、なんとなく心を開いていく雰囲気は優越感すらありました。全てはいつかエッセイにする為と思えば、何度も繰り返される話すら、詳しく聞きたいし、どんな心境だったのか、出てくる人の名前の相関関係すら書き出したほどでした。今あれをやれと言われたら、我が子第一なので出来ないですね。祖母は夕日は綺麗だとは思わなかったようですが、恋人の話を繰り返ししていました。父は愛人の子と聞いていたので、その人が祖父なのか!とワクワクしながら聞き入っていましたが、ある日滅多に来ない父が後ろに立っていたんです。祖母が娘にしてる恋物語の様子を、顔面蒼白になって立っていたんです。笑えました、この話、祖父の方では無いのかと、、、D Vで、威張る姿ばっかりの父が、顔面蒼白、茫然自失、、そして、なんだか泣きそう。なんだかすごく優越感で笑いが心の中で止まりませんでした。
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